赤松 燎   

― 路傍の日本画家 ―

赤松燎ご本人について、略歴や当時の活動などについてご紹介します。

写真左が赤松燎の生家(岡山県倉敷市児島)

1922年(大正11)

9月9日岡山県児島市(現・倉敷市)赤崎にて、父・大門詞嘉夫、母・千代野の長男として生まれる。

学生服姿の赤松燎(大門武夫)

赤松燎(大門武夫)21歳当時
昭和29年12月 妹の結婚式
昭和50年6月 甥の結婚式

1947年(昭和22)

高原碧山と出会う。

学費等の援助を受ける。

京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。

生涯の友人渡辺武蔵と出会う。


1953年(昭和22)

日本画家・山口華楊に師事。

晨鳥社に入塾する。


1955年(昭和30)

「グループあすなろ」結成、展覧会を(出品)開催。


1956年(昭和31)

日展に「ゆかた」出品し初入選する。

以降25回入選

ゆかた

1959年(昭和34)

京展に入選。


1960年(昭和35)

渡米し歌舞伎の緞帳を制作。

朝日新人展に出品。

都踊祇園舞練場
東京歌舞伎座緞帳

1961年(昭和36)

京都南座の緞帳を制作。

朝日新人展に出品。

京都会館第2ホールの壁画制作。

京都会館第2ホール壁画

1962年(昭和37)

京都新聞社ホールの壁画を制作。

京都新聞社ホール壁画

1964年(昭和39)

横浜ドリームランドの壁画を制作。

横浜ドリームランド壁画

1965年(昭和40)

関西新聞に挿し絵を掲載。

大映・市川雷蔵主演映画の美術担当。

アルバム帳より

1966年(昭和41)

画廊菊にてスケッチ展を開催。

夫人、弟子たちとの記念撮影

前列2人は池田遥邨夫妻


1968年(昭和43)

「濤グループ」を結成、出品。


1971年(昭和46)

大阪中座の緞帳を制作。


1992年(平成4)

1月故郷赤崎に最後の帰郷。

赤松燎(大門武夫)最後の帰郷

1995年(平成7)

京都高台寺塔頭圓徳院の襖絵「白龍図」を制作。


圓徳院
白龍図

1996年(平成8)

5月31日逝去。

(行年69歳 普照院郊燎道栄居士)


1998年(平成10)

京都文化博物館にて「赤松燎遺作展」開催。


2008年(平成20)

ぎゃらりぃ西利にて、13回忌追悼「赤松燎 舞妓素描展」開催

舞妓素描展の様子

2015年(平成27)

愛妻・大門真澄逝去。(行年81歳 實相院真如明澄大姉)


イベントのお知らせ

赤松燎に関するイベントのお知らせ