2022年10月再開催決定「路傍の日本画家 赤松燎」没後25年特別展
残暑も日ごとに和らぎ、初秋の季節となりました。 昨年ご好評い …
― 路傍の日本画家 ―
赤松燎ご本人について、略歴や当時の活動などについてご紹介します。
写真左が赤松燎の生家(岡山県倉敷市児島)
9月9日岡山県児島市(現・倉敷市)赤崎にて、父・大門詞嘉夫、母・千代野の長男として生まれる。
高原碧山と出会う。
学費等の援助を受ける。
京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。
生涯の友人渡辺武蔵と出会う。
日本画家・山口華楊に師事。
晨鳥社に入塾する。
「グループあすなろ」結成、展覧会を(出品)開催。
日展に「ゆかた」出品し初入選する。
以降25回入選
京展に入選。
渡米し歌舞伎の緞帳を制作。
朝日新人展に出品。
京都南座の緞帳を制作。
朝日新人展に出品。
京都会館第2ホールの壁画制作。
京都新聞社ホールの壁画を制作。
横浜ドリームランドの壁画を制作。
関西新聞に挿し絵を掲載。
大映・市川雷蔵主演映画の美術担当。
画廊菊にてスケッチ展を開催。
「濤グループ」を結成、出品。
大阪中座の緞帳を制作。
1月故郷赤崎に最後の帰郷。
京都高台寺塔頭圓徳院の襖絵「白龍図」を制作。
5月31日逝去。
(行年69歳 普照院郊燎道栄居士)
京都文化博物館にて「赤松燎遺作展」開催。
ぎゃらりぃ西利にて、13回忌追悼「赤松燎 舞妓素描展」開催
愛妻・大門真澄逝去。(行年81歳 實相院真如明澄大姉)
|ギャラリー|ページでは、年代ごとに赤松燎の作品をご覧いただけます。
赤松燎に関するイベントのお知らせ
ホームページや各種イベントに関するお問い合わせ
倉敷市出身の日本画家「赤松 燎」は、1996年(平成8)に生涯をかけた京都・圓徳院の「白龍図」の襖絵16面を制作した翌年に逝去した。京都での生活が永かったため、故郷の岡山県では無名の画家だった。しかし、名を残さずとも多くの弟子と命を削って制作した「白龍図」を遺した。
道端に目立たずひっそりとある雑草、艾(よもぎ)をこよなく愛した。それは「路傍の日本画家」と言われるゆえんである。
その「路傍の日本画家・赤松 燎」を顕彰し、少しずつではあるが「光を!」当てていきたい、そんな思いを込めて「燎光会」は発足した。
真言宗別格本山 持寶院
〒700-0913
岡山県倉敷市児島味野2-5-8